解説闘病~不死鳥の旅立ち

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最初の検査入院は、昭和62年4月、公演先の福岡の済生会病院でした。

美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:闘病~不死鳥の旅立ち 昭和60年春のゴルフコンペで、プレーの最中腰をひねったと感じたのが、最初の自覚症状でした。それ以来、足の痛みにおそわれるようになりました。しかし、仕事に穴を空けるわけにはいかないと、一年以上放置していたのです。
歌謡界の女王としてのプライドが、検査を遅らせていたのでしょう。その間にも、痛みはどんどん増し、立っていられないほどになってしまいました。歌に集中できないくらいになり、ひばりもさすがに検査をしようと、思ったようです。

病名は、「両側大腿骨壊死」。
分かりやすく言えば、股関節の付け根にあたる部分の、骨の組織が壊れ、変形していく病気です。ひばりの場合、原因がはっきりしませんでしたが、9歳の頃に交通事故に遭い、九死に一生を得た体験に、遠い原因があるのでは、と考えられています。
長年のお酒の飲み過ぎで、肝硬変にもなっていました。ファンの前に立ちたい一心で、検査だけと思ってきたひばりでしたが、観念して4ヶ月間入院することになりました。

8月、ひばりは奇跡的としかいいようのない回復を見せ、済生会病院を退院しました。
病院前に詰め掛けた、大勢のファンの出迎えに、ひばりはニッコリ微笑んで、退院記者会見で、 「もう一度歌いたいという信念がわたしの中にいつも消えないでおりました。ひばりは生きております。」と全快をアピール。
すぐさま新曲、「みだれ髪」のレコーディングに入ります。

精力的に仕事に打ち込むひばりは、自らの復活公演を、東京ドームのこけら落としで行うことを決めました。
デビューして以来、今回のようにファンの前で何カ月も歌わなかったことはありませんでした。それゆえに、ひばりにとって、今の状態がはがゆくて仕方なかったのでしょう。また、いつ歌えなくなるかもしれないという不安から、生き急いだのかもしれません。

美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:闘病~不死鳥の旅立ち 昭和63年の東京ドーム公演は、ひばりの集大成でした。
舞台や衣装のデザインは、不死鳥のイメージにすることもひばりの意向でした。曲目、音響、スクリーン、ひばりは全ての準備に関わり、事細かにチェックしました。公演の狙いは、ひばりは不死鳥であり、この道をこれからも歩んでいきます、とファンに印象付けること、そして、ひばりは見事にやってのけました。
入院以来、358日ぶりの奇跡の復活に、ドームを揺さぶるほどの拍手と歓声が沸き起こりました。

東京ドームでの復活は、何度でも甦る不死鳥、ひばり健在を印象づけましたが、病魔は確実にひばりの体を蝕んでいました。
東京ドームの公演も、楽屋にはベットを置き、いつでも横になれる状態を整え、何かあったときの為に、医者もスタンバイしていたようです。

平成元年、2月に福岡で全国ツアーを開始するも、すぐ入院。
新たな病名は、「間質性肺炎」。しかしひばりは最後まで、自分の病名は大腿骨骨董壊死と、肝硬変であると信じていたようです。一度退院しますが、3月に順天堂病院に入院。入院中は、誰にも会いたくないといって面会を避けていました。
一時期、元気な姿の写真も公開されましたが、病状は回復するに至らず、ついに6月24日、間質性肺炎による呼吸不全でこの世を去りました。

まるで、昭和という時代が終わるのを見届けたのかのように、歌謡界の女王は、静かに息を引き取りました。



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