解説死ぬほどの体験

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ひばりは、生涯2度ほど、命に大きく関わる事故、事件に巻き込まれています。2つの出来事は、ひばりの人生に多大な影響を与え、転機にもなったようです。


美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:死ぬほどの体験 バス事故
昭和21年、ひばりが、9歳の時の四国巡業。ひばり達(当時まだ無名9歳)を乗せて、雨の中、崖っぷちを走っていたバスが、トラックと衝突しました。あわや崖の下、まっさかさまに落ちているところでしたが、運よく桜の木の幹に引っかかったのです。事故により、バスの車掌は亡くなりましたが、後ろの方に乗っていたひばりは、重症だったものの、奇跡的に一命をとりとめた事故です。

事故後、元気になったひばりと喜美枝は、近くの大杉神社に、日本一の杉の木があると聞かされ、家に帰る前に、お参りに行っています。ひばりは、自分が助かったのは、きっと歌手になるために違いない。だからこそ私は歌手にならなければならないと、強く心に誓いました。ひばりは、杉の木に、「おかげさまで無事でした。こうして私は生かされたのですから、どうかあなたのような日本一にしてください。日本一の歌手にしてください」と小さな手を合わせてお願いしたそうです。

当時、歌手になることに反対をしていた、父増吉に対しても、この事故の後、ひばりはきっぱりと 「歌手をやめるなら、死んでやる」と言いきるほどの意志の強さを持ったということですから、この事故は、ひばりの運命を決定づけた出来事だったのでしょう。



浅草国際劇場での塩酸事件
昭和32年、ひばりが20歳の頃。浅草国際劇場での舞台の千秋楽で、ひばりは舞台上で、ファンの女の子に塩酸をかけられ、大やけどを負いました。ファンであるはずの少女は、なぜこのような凶行に及んだのでしょうか。少女は、ひばりより一学年上の同世代で、地方出身者でした。もともと少女は、ひばりの大ファンでしたが、貧しく、苦しい生活を脱するために、故郷から上京してきました。犯人の子にとって、都会というイメージの象徴が美空ひばりだったのでしょう。自分と同じ世代で、きらびやかな第一線にいるスター。もっともっと美空ひばりに近づきたい、そう思ったようです。少女の都会暮らしは、決して楽ではなく、精神的にもふさぎがちになっていき、唯一憧れのひばりが心の支えだったのかもしれません。

美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:死ぬほどの体験 せめて話だけでもしたいと、少女は、ひばりの自宅に何度も電話をかけたようですが、勿論取り次いでもらえるはずもありません。改めて、美空ひばりは、手の届かない遠い存在なんだと思い知らされた時、少女のひばりに対する憧れが妬みに変わっていきました。

「スターだから近づけないなら、スターから引きずり降ろせばよい。」
「台無しにして舞台に立てなくしてしまえ。」
哀しく恐ろしい動機だったのです。

好運にも、ひばりは、塩酸をかけられた直後に、付き人である叔母から、水をかけられたことで、 それほどの被害にならずに済みました。

ひばりに、ファン=不安という気持ちにさせてしまった事件。
塩酸事件以降、ひばりのファン達は、おのおのファンのあり方というものを改めて考え直したのかもしれません。芸能人と言える人たちのそれぞれファンがいますが、ひばりのファンはとても良識のあるファンということで業界では有名でした。亡くなって20年以上が経った現在でも、未だにひばりの生誕祭には、多くのファンが駆けつけ偉大でありながら気さくでファンを第一に思ってくれた歌手、美空ひばりを偲んでいます。

生涯通して、ひばりは、常にファンのために全てを捧げてきました。
ファンの中には、塩酸事件の犯人の少女のように我を失ってしまう人もいます。そして、モラルのあるファンもたくさんいます。ひばりにとって塩酸事件は肉体的にも、精神的にもダメージの大きいものでした。しかし、事件以降、ひばりは、ますますファンを大切しようと、より一層芸を磨くことを心に誓ったようです。



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