ポイント解説美空ひばりの作品・ディスコグラフィー

point-1美空ひばり:シングル曲売り上げベスト10

美空ひばりの数ある名曲の中でも、売り上げが特に良かったシングル10曲をご紹介します!

美空ひばり_柔

美空ひばりシングル曲売り上げベスト10:1位柔(1964年) - 190万枚

柔は第二回レコード大賞歌唱賞を受賞した、1964年の作品。
ひばりにとっても久しぶりのヒットで、同じ年に開かれた東京オリンピックを意識して作られたと言われている、いわゆる「スポ根」歌。最初は、これは男の曲だから歌いたくないと語っていたひばりでしたが、離婚で傷ついた心を一掃するかのような売れ行きになりました。



美空ひばり_川のながれのように

美空ひばりシングル曲売り上げベスト10:2位川の流れのように(1989年) - 150万枚

ひばり最後の作品「川の流れのように」・・・。
歌とひばりの人生が溶け合って、これぞ歌という一曲。
ひばりを知らない世代でも、この曲は知っているという若者も多いのではないでしょうか?
今なお、カラオケなどでもよく歌われる、「名曲」ですね。



美空ひばり_悲しい酒

美空ひばりシングル曲売り上げベスト10:3位悲しい酒(1966年) - 145万枚

幸せを手に入れようとしてうまくいかず、また一から頑張ろうとする女の歌「悲しい酒」。
ひばりの代表曲と挙げる人が多い作品でもあります。歌っていて必ずと言ってよいほど、涙を流すひばりに、彼女自身の人生を重ね合わせられるからかもしれません。



美空ひばり_真赤な太陽

美空ひばりシングル曲売り上げベスト10:4位真赤な太陽(1967年) - 140万枚

「歌は我が命」というLPに収録されていましたが、ファンから「シングル盤はないのか!」という声が殺到したため、急きょシングルカットとなった人気曲。ポップス調は、今までなかったため、ひばりにとって新鮮でした。



美空ひばり_リンゴ追分

美空ひばりシングル曲売り上げベスト10:5位リンゴ追分(1952年) - 130万枚

リンゴ追分は、浪曲に流れているような一種独特の情念のうねりがある曲。ちょうどひばりが変声期を迎えた頃でしたが、曲の初めの低音が見事に響きわたり、情感たっぷりに歌いあげています。70万枚というヒットとなり、ひばりだけでなく、日本歌謡界においても売上新記録になりました。



美空ひばり_みだれ髪

美空ひばりシングル曲売り上げベスト10:6位みだれ髪(1987年)

みだれ髪は、「大腿骨骨董壊死」で入院していたひばりの復帰作として作られた曲。福島県塩谷岬のイメージをひばりの現実になぞらえて書いた詞が、ひばりの心に沁みたようです。休業のブランクを感じさせないレコーディングで、自分は歌を歌うために生れて来たんだと改めて思ったということです。



美空ひばり_港町十三番地

美空ひばりシングル曲売り上げベスト10:7位港町十三番地(1957年)

港町十三番地は「明日があるさ!」と明るい未来を信じる歌。
最初は「港町三番地」という詞でしたが、ゴロが悪いということで「十三番地」に変えたそうです。「十三番地」は実際には存在しませんが、曲のヒットと共にこの言葉も流行語になりました。



美空ひばり_波止場だよ お父つぁん

美空ひばりシングル曲売り上げベスト10:8位波止場だよ お父つぁん(1956年)

「みだれ髪」「哀愁波止場」も手掛けた船村徹作曲作品。この曲を手掛ける前に、父、増吉と会い、増吉と意気投合した船村は、増吉をイメージしてこの曲を作ったようです。レッスンでひばりの潜在能力の高さに驚いた船村は、普通の歌手とは違ったパターンの作風を作ることを 心に決めたと言われています。



美空ひばり_東京キッド

美空ひばりシングル曲売り上げベスト10:9位東京キッド(1950年)

同名映画「東京キッド」の主題歌。
地方巡業に行っても、これまでにはなかったほどのファンの熱狂ぶりに、ひばりはすごく驚いたようです。超満員で、ひばりの行くところには既に人だかりができるほど。あまりのすさまじさに、地方巡業にはすべてといっていいほど、山口組田岡組長が同行することになりました。



美空ひばり_悲しき口笛

美空ひばりシングル曲売り上げベスト10:10位悲しき口笛(1949年)

ひばりの初主演映画、「悲しき口笛」の中で歌われる同名の曲。ひばりの生涯最初のオリジナル曲、「河童ブギヴギ」の万城目正作曲。最初はひばりの芸能界入りに、反対していた増吉が、この曲の大ヒットで、目に涙を浮かべて喜んでいる姿を見て、ひばりは、やっと許してくれたのだと思い、胸が熱くなったということです。ついには45万枚を超える売上で、戦後最大のヒットとなりました。




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point-2美空ひばりの主演作品

美空ひばりの初の映画出演は、昭和24年の、「のど自慢狂時代」で当時はまだ11歳の少女でした。それから最後の作品となった、「ひばりのすべて」に至るまで、実に150を超す数の映画出演をしています。

しかも、出演した映画のほとんどが、主演としての作品というのですから、女優としても、常に長い間トップの座にいたことが、お分かりになるのではないでしょうか。ひばりが歌えば、映画の主題歌も大ヒットとなりました。レコード(歌)と映画の相乗効果が、より一層人気に拍車をかけ、彼女を不動の地位に導いたといえるでしょう。

そしてもう一つ、映画における美空ひばりの大きな功績として、映画で彼女の相手役に抜てきされる新人俳優の多くが、その後、日本映画史における大スターに育っていくという点です。中村錦之助(現・萬屋錦之介)、大川橋蔵、東千代之介、里見浩太郎、高倉健などがその代表といえます。

数多くの映画に出演しているひばりですが、ここでは特に注目すべき作品についてご紹介します。


美空ひばり_踊る竜宮城

踊る竜宮城-(1949年)

踊る竜宮城は、佐々木康監督の松竹作品。
この年に「美空和枝」から「美空ひばり」と改名しました。ひばりの3作品目となり、初のオリジナル曲「河童ブギ」が吹きこまれています。



美空ひばり_悲しき口笛

悲しき口笛-(1949年)

悲しき口笛は、家城己代治監督の松竹映画で初主演。
同じ年に計6本の映画に出演していてこれが5本目の作品。敗戦の混乱が残る世の中で、精一杯明るさを装い、けなげに明日を信じる少女を熱演し、人々に希望を与えました。ひばりは初主演だというのに、セリフも全部頭に入っていて、現場でも台本を開かなかったことで、周囲を驚かせたということです。映画も歌も、あれよあれよという間に大ヒットし、ひばりを一気にスターダムにのし上げました。



美空ひばり_東京キッド

東京キッド-(1950年)

東京キッドは、斉藤寅次郎監督の松竹映画。
同名レコードが大ヒットとなると同時に天才子役として演技を絶賛されました!アメリカから帰国してすぐ撮影に入った作品で、アメリカの靴磨きの少年の服装を真似たい、という母の要望から、チェック柄のハンチングを斜めにかぶり、服装はオーバーオールを採り入れ、当時としてはシャレた靴磨きの格好になりました。



美空ひばり_鞍馬天狗 角兵衛獅子

鞍馬天狗 角兵衛獅子-(1951年)

鞍馬天狗 角兵衛獅子は、大曽根辰夫監督の松竹映画。
主題歌「角兵衛獅子の唄」「京の春雨」当時ひばりも思春期に差し掛かり、ちょうど変声期の頃でした。声変わりで、歌手人生をダメにしてしまうのではないかと危惧した母:喜美枝は、思春期のくぐりぬけ方としてあえて男の子役をやらせていました。もし声変わりでひばりの声が、低音になったとしても歌を聴く人たちに声変わりと悟られないで済むと考えたのです。



美空ひばり_リンゴ園の少女

リンゴ園の少女-(1952年)

リンゴ園の少女は、島耕二監督の松竹映画。
もともとはラジオ東京(現TBSラジオ)の開局記念番組の放送劇として放送されました。主題歌「リンゴ追分」は戦後最大のヒットとなりました。



美空ひばり_伊豆の踊子

伊豆の踊子-(1954年)

伊豆の踊子は、野村芳太郎監督の松竹映画。
主演、世間から大好評を得ました。当時17歳のひばりは、共演者の石浜朗さんと恋の噂になるほどに。この作品は、演技をしない普段のひばりを撮るために、わざと遠くから撮影したり、気付かれないうちに、表情をたくさん撮影して良いところを編集するといった工夫がなされているようです。そのため、ひばりのリアルな演技や表情がたくさん観れる作品に仕上がっています。



美空ひばり_ジャンケン娘

ジャンケン娘-(1955年)

ジャンケン娘は、杉江敏男監督の東宝映画。
江利チエミ、雪村いずみと共演。この共演がきっかけで三人娘として人気を博しました。



美空ひばり_ロマンス娘

ロマンス娘(1956年)

ロマンス娘は、杉江敏男監督の東宝映画。
前作に続き同じく三人娘の映画。



美空ひばり_大当り三色娘

大当り三色娘-(1957年)

大当り三色娘は、杉江敏男監督の東宝映画。
三人娘他、室田明、草苗光子らと共演。



美空ひばり_花笠若衆

花笠若衆-(1958年)

花笠若衆は、佐伯清監督の東宝映画。
昭和55年映画「笛吹若武者」での初共演以降、共演が続く大川橋蔵と共演。この時期、映画大量生産時代で、ひばりは主演だけで年間12本、応援出演合わせると20本近く撮るという時代でした!



美空ひばり_女ざむらい只今参上

女ざむらい只今参上-(1958年)

女ざむらい只今参上は、渡辺邦男監督の松竹映画。
同じ年に弟、益夫が小野透という芸名でデビュー。



美空ひばり_べらんめえ芸者

べらんめえ芸者-(1959年)

べらんめえ芸者は、小石栄一監督の東宝映画。
同じ年公開の「東京べらんめい娘」を皮切りに「べらんめい探偵娘」と続き、べらんめいシリーズと言われた作品の一つ。清川虹子他、実弟の小野透とも共演。この映画は大好評で、この後も「続べらんめい芸者」、「続々べらんめい芸者」等と続編が続きました。ひばり自身は実に大人しく、どちらかと言えばおっとりしていて、とても「べらんめい」と江戸前の啖呵をきれるようなタイプではなかったので、そのギャップが魅力となりヒットしたのかもという見方もあります。



美空ひばり_忠臣蔵

忠臣蔵-(1959年)

忠臣蔵は、松田定次監督の東映映画。
東映発展感謝作品として第一部、第二部と上映。



天竜母恋い笠-(1960年)

天竜母恋い笠は、工藤栄一監督の東映映画。
若山富三郎、品川隆二らと共演。



美空ひばり_ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば

ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば(1963年)

ひばり・チエミ・いづみ 三人よればは、杉江敏男監督の東映映画。
7年ぶりに三人娘が共演した作品。他、室田明、清川虹子、高島忠夫、岡田真澄らと共演。



美空ひばり_ひばりのすべて

ひばりのすべて-(1971年)

ひばりのすべては、井上梅次監督の東宝、日本コロンビア共作映画。
ひばりの芸能生活25周年記念作品。



美空ひばり_女の花道

女の花道-(1971年)

女の花道は、沢島忠監督の東宝、日本コロンビア共作映画。
ひばりの芸能生活25周年記念作品。




point-3美空ひばり主なシングル曲

実にたくさんの曲を、世に送り出し、ヒットさせてきた美空ひばりですが
ここでは、主なシングル曲をご紹介します。


美空ひばり~1940年代のシングル曲

美空ひばり_河童ブギウギ ・河童ブギウギ (1949年)

それまで、物まねとして、他の歌手の歌を歌っていたひばりですが、初のオリジナル曲としてレコーディングされた曲です。『踊る竜宮城』という映画で使われています。映画出演のためのオーディションの時、群を抜いた歌唱力で、末恐ろしい子がやってきたと、映画関係者に思わせたようです。


・悲しき口笛 (1949年)


美空ひばり~1950年代のシングル曲

・東京キッド (1950年)

・越後獅子の唄 (1950年)

寂しい気持ちが詰まった曲。フォークシンガーや、たくさんの歌い手に影響を与えた歌でもありました。松竹映画『とんぼ返り道中』の主題歌。


・私は街の子 (1950年)
美空ひばり_リンゴ追分

当時のひばりにピッタリな曲。多くの人が口ずさんだそうです。


・あの丘越えて (1951年)

・お祭りマンボ (1952年)

特にファンの前で歌う時は、ノリにノッていた曲。
軽快で、舞台でも盛りあがり必至な曲で、ファンの目を一人ひとり見ながら、実に楽しそうに歌っいました。


・津軽のふるさと (1952年)

演歌っぽい曲名ですが、ムーディな歌謡曲です。実に伸びやかに歌いあげています。


・リンゴ追分 (1952年)
・波止場だよ お父つぁん (1956年)
・港町十三番地 (1957年)
・車屋さん (1958年)


美空ひばり~1960年代のシングル曲

・哀愁波止場 (1960年)

レコード大賞歌唱賞受賞。高音から入る物悲しい響きが、哀愁を漂わせています。


・ひばりの佐渡情話 (1962年)

音域が広く、ひばりでなければ歌い込めない歌。情感たっぷりに歌いあげています。友人の王貞治さんがこよなく愛した曲としても有名です。


美空ひばり_真赤な太陽 ・哀愁出船 (1963年)
・柔 (1964年)
・悲しい酒 (1966年)
・真赤な太陽 (1967年)

・芸道一代 (1967年)

ひばりと、母、喜美枝をイメージして作られた曲。皮肉なことに、この時すでに喜美枝は、病に倒れていました。それゆえに、この曲を歌うときには、余計に気持ちがこもっているようです。


・むらさきの夜明け (1968年)


美空ひばり~1970年代のシングル曲

・人生一路 (1970年)

弟の哲也が作曲。ひばりも好んで良く歌っていました。不祥事で世間から叩かれた昭和48年の暮れも、弟を激励するかのように、テレビで熱唱していました。


・ある女の詩 (1972年)


美空ひばり_川のながれのように

美空ひばり~1980年代のシングル曲

・おまえに惚れた (1980年)
・裏町酒場 (1982年)
・しのぶ (1985年)

・愛燦燦 (1986年)

小椋桂作詞作曲。とてもゆったりとして優しい気持ちになれる曲。


・川の流れのように (1989年)



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