解説離婚~母の死、ファミリーの崩壊

  • Yahoo!ブックマークに登録する
  • はてなブックマークに登録する
  • livedoorクリップに登録する
  • FC2ブックマークに登録する
  • Buzzurlブックマークに登録する
  • del.icio.usブックマークに登録する
  • ニフティクリップに登録する
スポンサードリンク
離婚後の美空ひばりは、深く傷ついた心をいやすかのように、仕事に打ち込みました。
「芸を捨て、母を捨てることはできなかった」と言ったことを証明するかのように。

皮肉にも昭和39年、離婚直後に発表された「柔」が大ヒット。
次いで昭和41年に出された、「悲しい酒」がまたまた大ヒット。
仕事の充実が、疲れ果てたひばりの心を慰めていったようです。昭和42年には、「真っ赤な太陽」というひばりにしては珍しいポップス調の歌で、ヒットを飛ばしました。

美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:離婚~母の死、ファミリーの崩壊 しかし、その後はこれといったヒット曲に恵まれず、弟、哲也の事件で窮地に立たされます。これまで哲也は、何度か逮捕されていたこともあり、ちょうど警察も、総力を挙げて暴力団追放キャンペーンを展開していたことも、タイミングが悪かったといえるでしょう。ひばりの弟、哲也はまさに格好の餌食となりました。

そして、暴力団組員である、弟の哲也が出演をするなら、ひばりの公演は断る、という地方の劇場、公民館からのボイコットが相次ぎます。その批判中傷は、とても厳しいものでした。NHKにも、ひばりを紅白歌合戦に出演させていいのかという苦情や、抗議の電話が殺到し、NHKは、国民の感情として、ひばりに「否」と烙印を押していると判断しました。17年連続して、紅白に出場していたひばりは、昭和48年、落選という結果に終わってしまうのです。

ひばりに、母、喜美枝が癌に侵されていると知らされたのは、昭和52年の秋です。
この告知が、ひばりの人生において、最大の衝撃であったことは、間違いないでしょう。ひばり自身、自分は母によって、造られたものだと自覚していました。その母の命が残り少ないなんて、自分は耐えられるのだろうか...。これまで、苦しい時は、必ず自分の苦しみを打ち明けてきました。 が、今度ばかりは、母親に訴えることができません。

しかしひばりは、母が癌と分かってからというもの、それまで、全て母親に任せていたことを、自分で何とかしなければいけない、と思うようになり、今まで自分は芸一筋、経済的な面は、母親任せっきりだった状態を変えようと、懸命に努めます。引っ込み思案だったひばりが、積極的に人とかかわるようになり、親しい人を見つければ、なんでも訊いて学びました。もしかしたら、これがひばりの巣立ちなのかもしれません。

長い闘病生活の末、母、喜美枝が昭和56年7月29日、亡くなりました。
涙も枯れ果てたひばりが、「こんなにおだやかなママの顔を見るのは、生まれて初めてだったかもしれない」ともらしています。喜美枝もまた、芸能界という華やかながら厳しい世界で、娘を守り、家族を守り、必死に生きてきた女性でした。

喜美枝が体調を崩して、ひばりについていられなくなった頃から、哲也が、母に代わってマネージャーをやることになりました。哲也は、刑を終え改心し、人が変わったようにマネージャー兼プロデューサー業に没頭していきます。しかし、もともと気持ちの優しく、気遣いのある哲也は、姉と、仕事関係者たちとの板挟みになることが多く、相当悩んでいたようです。母親なら強く言えるところ、弟では偉大すぎる姉を懐柔できず意見が対立した時、どうしても哲也は引いてしまいます。 不眠不休で頑張る哲也にとって、ひばりのプロデュースは相当重荷だったようです。

しかしひばりにとって、自分の音楽プロデューサーが他の誰でもない弟というのは、母親を失った今だからこそ大変大きな存在でした。ひばりも哲也の才能を高く評価していましたし、それゆえに、ひばりは、哲也がひばりの為に作曲した曲を、好んで歌っていました。しかし、新たな試みをしようとしていた矢先の昭和58年10月24日、長男哲也は急性心不全で帰らぬ人となってしまうのです。

享年42歳の若さでした。

美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:離婚~母の死、ファミリーの崩壊 ひばりは、哲也の突然の死を、悔やんでも悔やみきれませんでした。「なんでうちは皆こんな早く死んでしまうの!きっとおふくろが寂しくて哲也を呼んだのよ、今度は私のことを呼ぶわよ」と泣き叫びました。

昭和61年4月1日、今度は末弟武彦が、同じく42歳でこの世を去りました。
ひばりは、武彦を立派な俳優にしたくて色々手を尽くしました。しかし武彦は、俳優として芽が出なかった後、お酒に溺れることが多くなります。居酒屋を開きますが、武彦自身がお酒を飲み過ぎ、一年もしないうちに閉店。しかし、ひばりに泣きつき、再起をかけてスナックを開きました。最初こそ真面目にやっていましたが、お酒が原因で、体調を崩すことが多くなりました。ひばりは、何とか武彦を奮起させたいと再三手紙で励ましたり、たしなめたりしましたが、結局何も変わらなかったようです。

こうして、ひばりファミリーの時代は終わりを告げ、病魔は、ひばりをも襲い始めて来たのです。



TOPPAGE  TOP 
相互リンクお問い合わせ