解説ひばりの母

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加藤喜美枝。
美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:ひばりの母 美空ひばりに、「ひばりが歌をやめる時こそが、母が本当に死ぬ時。」と言わせるほど、ひばりを愛し、心の底からのファンであり、プロデューサーでありました。

ひばりを作り、支え、愛するが故に、和枝の幸せをもいくども奪った人でもあります。
しかし彼女がいなければ、美空ひばりが、生涯スターであり続けることはなかったでしょう。

喜美枝は、9歳でひばりが芸能界入りしてからというもの、自分が病気で自由がきかなくなるまで、実に長い間、自らの全てを、ひばりに捧げました。元々芸事が好きで、気丈な性格である喜美枝はどのような現場にも、いつもひばりの横にいました。それゆえに、ひばりへの思い入れは、 他人では測りがたいものがあったようです。

ひばりが、デビューしたての頃、風邪を引いて歌が歌えないといっても、とにかくお尻を叩いて 舞台にあげさせていました。映画の撮影の時も、ひばりが生理がひどくて体調を崩していたにもかかわらず、馬に乗るシーンを撮影させるなど、傍から見ると、残酷にも映ることもあったと言われています。

しかし、だからこそ、ひばりへの中傷や嫌がらせ、マイナス面全てにおいて喜美枝が、常にひばりの防波堤となっていました。喜美枝は、ひばりのスポークスマンであり、代弁者でもありました。血と涙のにじむような苦しい毎日も、喜美枝が矢面に立ってときに、ひばりと母子で泣きながら、常にひばりを守ってきたのです。

ひばりの人気が出ると、ますます喜美枝の存在が、大きくなってきます。ギャラ、共演者、舞台公演、衣装、会見、全てのスケジュールに口を出し、関係者の間では、ひばりの説得より、母の説得が困難であると有名でした。ひばりは、子供のころはもちろん、その延長なのか、もともとの性格なのか半ば、母親のいいなりに近かったと言われています。

喜美枝は、ひばりを監督し、仕切り、相当な権限を持っていたようです。ステージママという枠を超えた総合プロデュースと言えるでしょう。「美空ひばりはこうあるべきだ」、という絶対のビジョンを持っていてそのビジョンに合わないものは、徹底的に排除していました。この排除が、いつもトラブルのもとになり、娘の幸せをも奪ったこともあるのです。

そして、喜美枝の溺愛は、四人姉弟でひばりだけではありませんでした。
喜美枝は、息子達も早くひばりのように一人前にしようと、一生懸命になりすぎたことが、逆に仇となってしまいました。

長男加藤益夫(芸名 小野透)のときは、主役にしようと急がせ過ぎて失敗。

二男武彦(芸名 花房錦一)のときは、喜美枝自身の目の前で、武彦がプロデューサーにけなされたことに腹を立て、せっかくつかみかけた、準主役のテレビ番組から降板させたのです。

しかし、喜美枝が生涯をかけて作り上げた、「美空ひばり」は、喜美枝の断固たる意思と、ゆるがないビジョン、そして、大きくて深い愛情に守られて、この世を去る瞬間まで、ずっと輝き続けました。亡くなってもなお、異彩を放つ大スターとして後世まで語り継がれているのは、やはり、今まで例を観ない程の、母親のプロデュースがあったからでしょう。



   
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