解説ママ

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美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:ママ 美空ひばりが、39歳にして、弟、哲也の子供を養子にしたことは、ひばりに「母親」という新たな役割を与え、母性愛に目覚めるきっかけになりました。名前は、加藤和也、もともとは叔母と甥の関係です。

哲也と、和也の母親の女性の仲は、和也が誕生した時には既に、冷めきっており、和也は生まれて間もない頃から、加藤家で育てられていました。

当時から、既にひばりは、和也から、「ママ」と呼ばれて、手塩にかけて育てていました。ひばりには、和也への愛情があふれていたため、養子縁組もいわば、自然な成り行きだったようです。和也が、小学校に入ってから養子縁組をしましたが、この養子縁組も母、喜美枝からの提案でした。ひばりはこの時39歳、再婚の可能性を捨ててまで選んだ母親としての生き方に周囲の人たちの中には、「ここでもまた、ひばりファミリー安泰の為、自らの幸せを犠牲にしたのか?」と心配する声もあったようです。

しかし、ひばりの母性愛は、既に誰も止められないほど深く強いものでした。目に入れても痛くないほどの溺愛と言えるでしょう。

美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:ママ 特に、和也の小学校選びには、かなり真剣で、和也により良い教育を受けさせる学校はどこかと、自ら足を運んで見学に行ったほどです。入学式も、当日の混乱を恐れず校則も守り、電車で出席。スターでなく母親としての謙虚さ、潔さが感じられます。

和也の存在は、ひばりではなく、和枝として感じることができるこの上ない幸せだったのでしょう。 ひばりは、自分なりのやり方で、一生懸命母親をやっていたようです。和也が幼いころは、カセットテープにお話を録音したりしました。子供は宝、と常々周囲にも言っていました。

和也が思春期になってくると、交換日記で叱ったり励ましたり、何か話題を見つけてキャッチボールを楽しもうとしたりしていたようです。思春期の和也にとっては、その愛情が、重荷に感じることもあったかもしれませんが、ひばりは良い母親になろう、立派な母親になろうと、頑張っていたのです。

ひばりが、何よりも期待をして楽しみにしていたのが、和也の成長でした。和也を、ひばりのプロデューサーに育て上げることに、必死でした。そのための舞台も、お膳立てされていたのです。 舞台は横浜、ひばりの故郷、予定されていた和也の初プロデュースは、横浜アリーナでした。しかし、時は平成元年、ひばりは病状が思わしくなく、順天堂大学病院で闘病中でした。「横浜アリーナの舞台には這ってでも出たかった!大仕事をどうしても成功させてあげたかった。」と 子供の巣立ちを見ることができなかったことが、悔やんでも悔やみきれなかったことでしょう。

現在、息子和也は、ひばりプロダクションの社長として、ひばりが残した芸の軌跡を、後世に伝えるべく、全国で日々活動を繰り広げています。



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