解説家族思いだったひばり

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美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:家族思いだったひばり 9歳でデビューして、52歳でこの世を去るまで、ひばりにとって家族は、唯一、加藤和枝に戻れる場所だったのではないでしょうか。仕事が忙しくて、一緒にいる時間が、極端に少なかった分、その一秒一秒を大切にし、家族を思う気持ちは誰よりも深くかったようです。

家族思いではありますが、ひばり自身、両親に対して、親孝行したとは思っていないようです。父、増吉に対して「芸能界にはいるのを反対した父に、『入らせてくれなければ死ぬ』と半ば脅迫して歌う事を選んだため、長年、美空ひばりとしてスターの地位を築いてきても好きなことをさせてもらっただけで、親孝行ではない。」と公言しています。

また、一卵性親子と言われた喜美枝に対しても、「母は、『自分に代わって自分の子供に芸の道を進ませたい』という一般的なステージママではなかった」と主張した上で、むしろ、歌が好きで好きで仕方なかった自分のために母は、全て犠牲にして付いてきてくれたんだという気持ちで いたようです。

ひばりは、常に弟達、や妹のことを気にかけていました。小さいころから、母を独占してしまっているという罪悪感が常にあったようで、弟達がかわいそう、どうにかしてあげたいと、心の底から心配していました。

弟達がひばりの名前を傘に遊びまくり、金遣いが荒くなっても、お小遣いあげたり、何か事業を起こす時は、ひばりが出資していたのは、度の過ぎたかわいがりようだったのかもしれませんが、ひばりにとっては、常に自分の心の中にある罪悪感を、少しでも軽くできるなら、と思ったのでしょう。

そして、ひばりは、なによりも身内に褒めてもらうのが、嬉しかったようです。曲や舞台、映画で何か成果を残した時、いつも最初にひばりに祝福をいう、哲也を始め、家族が喜んでくれることが、何よりの自分のご褒美だったのかもしれません。

美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:家族思いだったひばり 妹にもよく批評を頼み、感じたままを素直に率直に言ってくれることに感謝していたようです。妹の手が荒れていれば、不憫に思いハンドクリームを1箱送ったり、たまにする会話の内容を、しっかり覚えていて、忘れずに実行したりする、思いやりのある姉でした。妹が、ひばりの公演に行く時は、必ず付き人に、何が食べたいかを聞くよう指示し、休憩時間に楽屋で一緒に食事をするのを、とても楽しみにしていました。

家族を第一に考え、だれよりも家族が喜ぶ顔を観るのが大好きだったひばり。加藤家は、加藤和枝に戻れる大切な場所だからこそ、とても大切に思っていたのでしょう。



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