解説超完全主義者

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美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:超完全主義者 仕事に厳しく、努力家。
美空ひばりの超完全主義者は、業界では有名な話です。仕事熱心でプロ根性というのは、同じく魚屋という商売に心血を注いでいた父、増吉から受け継いだ遺伝子かもしれませんが、その片鱗は既に、デビュー当時の少女時代から表われていました。

ひばりが10歳の時、美空楽団の一員として、劇場に出演していた頃、毎日ひばりの関係者に 「舞台の向こう(客席)へ行って、歌を聴いて気が付いたことがあったら注意してほしい」と、お願いしていたそうです。誰も何も頼まないのに、自分のスキルを高めるために、よりよいステージにする為に、既に大人顔負けのプロ根性が芽生えていたということでしょう。

プロ意識としては、スターである自覚も、相当強いものでした。10代初め、家族で湖に遊びに泳ぎに言った時のことです。ひばりは全く泳げなかったのですが、誤って湖で溺れたときも、周囲の好奇な目を意識し、自分は美空ひばりなんだ、という外見を保つことに必死になり、声を出さないで溺れたということです。さらに18歳の時、後に親友になる中村メイコと初対面の際、メイコの、「今度男の子連れて遊ぼう」という誘いにも、「私はファンの人が嫌がることはしない。」と、ピシャリと断ったと言いますから、小さい頃より第一に、美空ひばりのイメージ、スターとしてどう見られているかを大事にしていたことが伺えます。

また、ひばり自身、体調がどんな状態でも、本番では音が狂わない事で有名でした。そのため、音を外したバックバンドの一人をプロ意識が足りないと、その場でクビにしたこともあるそうです。 ひばり自身にだけでなく、自分の周りにもプロ意識の高さを要求していたようです。

ひばりは、プロとして仕事に厳しかっただけでなく、負けず嫌いの性格から、ひたすら努力するという面も持ち合わせていました。幼いころから、天才と言われていましたが、決して才能だけのスターではなく、人知れず努力し、耐える人でもあったのです。

美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:超完全主義者 新しい歌に挑戦する時は、夜遅くまで何度も何度も聴き、自分の納得のいくまで勉強していました。ひばりは、新しいジャンルとして、ジャズを歌う事もありましたが、英語が話せたわけではありません。それでもジャズを歌い、成果を残したのは、小さいころから、叔母の結婚相手がアメリカ人で、家にジャズのレコードがあり、それを何度も、繰り返し繰り返し聴いて、耳から、発音や独特の言い回しを学んだことと、3人娘の中で、ジャズを得意とする江利チエミに、負けたくなかった という意地もあったのではないでしょうか。
芸に対するすさまじい執念とも言えるかもしれません。

ひばりの負けず嫌いは、我慢強さでもあります。
例えば、体力的には、かなりハードな期間が続く公演や舞台で、ひばりの歌を聴きに来てくれる人たちの為なら、少しくらい熱が出て苦しかったとしても、満足のいく歌を聴いてほしいと、体調がすぐれない時も、舞台上では、それを少しも感じさせないパフォーマンスでファンを魅了していました。

また、風邪で40度近い熱があり、楽屋では横になってるくらい大変な状態の時がありました。しかし、そのような状態でも、舞台の時間になれば吸入器でのどを整え、胸の空いたドレスを身につけ、化粧をしてスキッとしたスター美空ひばりになったようです。ファンの前に出る時は完全なスター、舞台裏のことは微塵も感じさせないのです。

また映画の撮影中、こんなことがありました。
ひばりが撮影中に盲腸になってしまったのです。無理をしてたため、お腹の痛みは相当であったのにもかかわらず、日中にクランクアップしないと上映に間に合わない、という製作者側の意図を組んで、ひばりは、痛み止めの注射をし、立ち回りで動きの多い場面を朝までかかって完成させ、それから入院したということです。

プロ意識、努力、負けず嫌い、我慢強さ、どれをとっても並みはずれたレベルではなかったということが、ひばりを、超完全主義者にしていたと言えるでしょう。



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