解説母の死後

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美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:母の死後 美空ひばりにとって、一卵性親子とまでいわれた母、喜美枝の存在は、とてつもなく大きいものでした。加藤和枝の母でありながら、美空ひばりをも生んだ母でした。あまりに大きすぎる存在が、この世からいなくなってしまった時、これ以上ないくらいの辛い体験をしたと、ひばり本人も語っています。泣いて泣いて涙も枯れ果て、あれ以上の苦しみ、悲しみはなかったと。

ひばりの周囲の人たちも、喜美枝の死で、ひばりも死んでしまうのではないかと、本気で心配していたほどです。しかし、ひばりは何とか持ちこたえました。崩れそうになる心を、必死で持ちこたえて、耐え抜いたのです。喜美枝の死を乗り越えることが出来たからこそ、次いで弟2人が亡くなった時も、悲しんだはずですが、喜美枝の時以上ではなかったようです。

昭和56年、一生に一度の辛い別れを、経験したひばりは、母の死によって初めて、自分の置かれている立場、スタンス、ビジョンを、本気で考えるようになります。母が防波堤となり、自分は歌を歌っていればよかっただけの時代、周りを全て囲んでもらって守られていた時代は終わったと実感したのでしょう。ひばりは44歳にして、初めて自立したのです。

お金の管理から、自分のプロデュース、スタッフへの心遣いなど、喜美枝の死後、明らかにひばりは変わりました。

一番変わった事は、取材もひばり本人に申し込めばOKになったということです。今までのように、殻に閉じこもっていてはいけないと、きちんとマスコミに門を開かなければいけないことに 気付いたようです。インタビューにも、ある程度応ずるようになって、自分から積極的に、素顔と肉声を届けようとしていていました。その矢先、病に倒れてしまいました。新しい美空ひばりを、見せてくれようとしていただけにマスコミ関係者を始め、周囲の人たちは、これからだったのに...と、悔しい気持ちでいっぱいだったようです。



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