解説デビュー~三人娘

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美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:デビュー~三人娘 四国巡業から戻った美空ひばりは、翌年の昭和22年、横浜国際劇場の、開館1周年記念に、出演のチャンスをもらいます。本格的な劇場デビューとなったのです。大人の流行歌を、大人顔負けで歌う10歳に、観客達は大きな拍手と喝采を送りました。当時流行っていた、「ブギヴギ」を歌う先輩歌手からも一目置かれる存在となり、脅威を感じた先輩歌手から「自分の持ち歌であるブギヴギは歌ってはいけない」と禁止令が出されて程です。しかし、いずれにせよ、ひばりの歌が多くの人たちの心に響いたということは間違いありません。

横浜国際劇場での初公演を機に、ひばりは国際劇場専属の歌手となり有力なマネージャーを得て、東京でミュージカル風の舞台に出演します。この舞台で芸名を、「美空和枝」から「美空ひばり」に変えました。その後日劇に出演したり、強運も手伝って、コロムビア大会でコロムビア専属の大物歌手を食ってしまうほどの歌唱力を見せつけ、その名は一気に知れ渡ります。

コロムビア大会で、ひばりの将来性に、別の視点から眼をつけたのが、映画プロデューサーであり、初の映画「のど自慢狂時代」に出演することになりました。いくつかの映画出演の後、ひばりが12歳の時に初主演した、「悲しき口笛」が大ヒット。同名の主題歌は、売り上げが50万枚にものぼり、戦後最大のヒットとなります。

しかし、彗星のごとく現れたひばりの活躍を、面白くないと思う人もいたようで、デビュー間もないころから、ひばり母子は心ないバッシングにさらされてきました。

「大人の真似をして、子供に稼がせている」
「ひばりの歌は子供っぽい健全さがまるでない、ゲテモノだ」

など、批評というより、ただの嫌悪感でのバッシングにひばり母子は、相当苦しめられたようです。

大人の物真似でデビューし、ゲテモノ呼ばわりされていたひばりでしたが、「悲しき口笛」のヒットで、悪いイメージはかなり改められました。さらに、イメージアップを求めて作られたのが、「東京キッド」という曲です。
「東京キッド」の大ヒットは、ハワイ公演帰りで箔がついたひばりを、急速にスターへと押し上げるきっかけを作りました。昭和26年、雑誌、「平凡」の人気投票で、ひばりは、花形歌手ベストテンの、第三位にランクづけされます。ひばり人気は、確実に高まりを見せて、立派なスターとして 世間に認知されたと言えるでしょう。

美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:デビュー~三人娘 スターとしての地位は、ひばりがずば抜けていましたが、江利チエミ、雪村いづみという同世代の2人と、「元祖三人娘」として人気を競い合ったのも、10代の終わりの頃です。対談や、映画共演などから、公私ともに仲良くなり、ひばりは、これまでずっと仕事続きの生活で、同世代の友達が、なかなか作れなかったので、いっぺんに2人も、同じ年頃の友人が出来て、素直に嬉しかったのではないでしょうか。

仲良し反面、お互いライバル意識はとても強かったようで、特に、ひばりが、江利チエミの得意とするジャズの歌を歌ったり、逆にチエミが、演歌っぽい歌謡曲を歌ったりしました。いづみは、そんな二人の間で、潤滑油的な存在だったようです。チエミ、いづみの2人のお陰で、それまで内向的で大人しく口数の少なかったひばりが、どんどん陽気で明るくなり周囲を驚かせるくらいだったそうです。

3人の親しい間柄は、時が経つにつれて間遠になりつつも、江利チエミが亡くなるまで続いたということです。



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