解説ひばりファミリー 弟:益夫改め哲也

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美空ひばりの家族には、両親の他、弟2人、妹一人がいます。
妹は、ひばりの死後、54歳の新人歌手としてデビューするまで、芸能界に入ることはありませんでしたが、弟達はそれぞれ、小野透(本名 加藤益夫)、花房錦一(本名 加藤武彦)という名前で、早々に芸能界デビューしました。

美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:ひばりファミリー 弟:益夫改め哲也 弟達のデビューは、ひばりの七光りそのものでした。

益夫の、小野透という芸名は、ひばりが昭和28年当時、付き合っていたバンドマン、小野満の影響があったと言われています。昭和33年、歌手としてデビューし、、ひばりの地方公演で前歌を歌っていましたが、翌年に俳優デビュー。
ひばりの大ヒット映画、「べらんめぇシリーズ」で、大当たりし、その後主役で数本映画出演しています。

が、役が気に入らないと、撮影中に姿をくらましたり、本人もやる気がなくなり、芸能界から引退。 その後は、暴力団に入り、数々の逮捕歴、ついに昭和49年末、懲役二年四カ月の実刑判決で、 刑に服すことになります。

このことで、ひばりの仕事にかなり大きい影響が出たことは、言うまでもありません。
そもそもひばりの父、増吉が昭和38年に亡くなった際、葬儀の案内状に「山口組系益田組若頭」という肩書を使ったことが、新聞や週刊誌のかっこうの攻撃材料になってしまいました。
益夫(小野透改め、かとう哲也として再デビュー、以後哲也とします)の実刑判決は、こぞって新聞や週刊誌で叩かれ、NHKの紅白歌合戦にも落選する原因にもなったようです。
ちょうど昭和48年当時は、全国的に暴力団追放が叫ばれていただけに騒ぎも大きくなってしまったようです。

刑を終えて出所した哲也は、皆の信頼を取り戻そうと必死にひばりのプロデュース業に励みます。プライベートは、あまり落ち着きがなく、結婚し離婚し、また再婚して、後にひばりの養子になる和也を設けますが、すぐ離婚。
しかし、仕事の方は、体が弱ってきた母、喜美枝に変わり本格的にひばりのプロデュースを手掛け立派なマネージャーになりますが、そう長くは続けられませんでした。

昭和58年、42歳の若さでこの世を去ることになります。



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