解説ひばりファミリー 弟:武彦

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美空ひばりの弟である武彦は、小さいころから叔母に預けられていたりして、親の愛情に、恵まれないで育ちました。ひばりと益夫は母にかわいがられ、もう一人の姉の勢津子は父にかわいがられましたが、武彦はどちらからもそれほど目をかけてもらえなかったようです。

美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:ひばりファミリー 弟:武彦 武彦は、兄の後を追って、花房錦一という芸名で昭和33年にデビューしました。益夫とは違って、最初から俳優を志していた武彦は、最初の頃、ひばりの時代劇の端役をしていました。主役はおろか、なかなか端役にも出演させてもらえない時期がありましたが、「てなもんや三度笠」というテレビ番組で準主役に抜擢されます。
やっと掴んだ大きな役でしたが、撮影を見学に来た母、喜美枝にプロデューサーが親切心で言った言葉が、喜美枝にとっては自分の目の前で武彦をけなしたというとらえ方になり、出演を禁じてしまったのです。それからというもの、どこからも声もかからなくなり、ひばりの芝居以外は全く舞台に立てなくなってしまいました。さらに、「美空ひばりの弟」という地位を散々利用し、日連夜、あそびまくっていたことから、益々自分の居場所をなくしていきます。

しまいには、益男も武彦も、ひばりの舞台ですら会場から拒否されるようになってしまい、母、喜美枝の夢であった、3姉弟で舞台公演や映画出演という話は泡と消えてしまいました。
その後、武彦は、お酒に救いを求めるようになり、ひばりの出資で水商売を立ち上げ頑張ろうとしますが、商売人に徹することができず、どんどんお酒に溺れていきました。結局、肝硬変で昭和61年、益夫と同じ42歳で亡くなっています。

母、喜美枝は何でもファミリーで固めたがりました。
あまりにひばりがあまりに偉大な歌手であった為に、その力を借りて、芸能界入りし、何とか二人とも人気者にしようと思ったようです。それが逆効果になり、美空ひばりの弟だからと、まわりからちやほやされて、不甲斐無い結果になってしまいました。もしかしたら 哲也も武彦も、芸能界とは違う道を選んでいたら、それなりの幸せを手に入れていたのかもしれません。

だからこそ、余計にひばりに頼り、ひばりの稼ぎはファミリーのものという意識が強かったと言われています。ひばり本人も、自覚していたようですが、もしかしたらひばりは、ひばり自身ではなく、ファミリーの為に歌い、ファミリーの為に働いていたといえるかもしれません。



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