解説ひばりと暴力団との関係

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美空ひばりは、暴力団と密接なかかわりがあるー

この事が、後にひばりを窮地に立たせることになりますが、一体どういう始まりで、どういう間柄だったのでしょうか。

ひばりが、「神戸のおじさん」と慕う山口組三代目の田岡一雄と、初めて出会ったのは昭和23年暮れです。ひばりが、神戸の、「神戸松竹劇場」に出演する前日に、挨拶に出向いたのが最初だと言われています。

美空ひばりDVD:昭和の歌姫「美空ひばり」思い出のあの曲を:ひばりと暴力団との関係 当時、地方巡業の際は、必ずその土地を仕切っている暴力団に挨拶に行くのが習わしでした。実際、暴力団が、地方巡業を含む興行を手掛けていることが珍しくなかった時代で、公演を無事に進めるためにも、挨拶に行かないで舞台を開くというのは、考えられませんでした。

田岡一雄が山口組三代目を襲名した戦後すぐから、山口組は関西圏の興行にはものすごい勢力をもっていたようです。つまり、関西で興行を行うには、山口組のバックアップは不可欠ということです。しかも、戦後すぐは、国内が混乱状態で警察機構もまだ確立していなかったので、今と違って、暴力団には比較的自由が与えられていたという時代背景もあります。

田岡はひばりの才能に惚れ込み、心から大切にし、ひばりの地方巡業と言えば必ず付き添うほどの入れ込みぶりだったようです。が、ただ単に可愛いからとか時間があったからというだけではなかったようです。

田岡自身が同行することの、最大の目的は、ひばりをリトマス試験紙として、田岡同行で地元の暴力団が、どう対応するか、口組にとって敵か味方かを探るということだったのです。そのため、山口組の勢力拡大にとって、ひばりの地方巡業は、欠かせない存在だったと言えるでしょう。

しかし、ひばり自身も認めているように、地方巡業は、田岡のような立場の人たちの庇護がなければ、こなせなかったのです。何もバックアップがなければ、地元の暴力団に嫌がらせされたり、ひどいときは公演中止に追い込まれることもあったといわれています。

背景に大人の事情があるにせよ、幼いときのひばりは、田岡に相当可愛がられていたようです。 ひばりの家は、泥棒に入られることも多かったので、神戸の組から、常に数人常駐させていました。田岡の息子とも親交が深く、ひばりを姉のように慕っていたようで、特に息子は大学が東京だったためにひばり一家との付き合いは、さらに深くなりました。

環境が環境であったため、自然な成り行きで弟、哲也が暴力団の世界に魅入られてしまいます。

哲也が、父、増吉の葬儀の際の花輪に、横浜に本拠地を置く「山口組系益田組の舎弟頭」という肩書を書いたことから、古くから、ひばりと暴力団は関わりがある上に弟は暴力団員だと噂になってしまいます。

そこに昭和47年、警察庁による暴力団追放キャンペーンの見せしめに近い形で、ひばりの弟である哲也が暴力行為で逮捕されます。すぐに釈放になりますが、ひばりは公演を、哲也共演と宣伝していたことから、全国の公演先から相次いでキャンセルされ、仕事に、多大な影響が出ることになりました。哲也は、その後も懲りずに数回逮捕され、それでも家族だからと哲也を擁護するひばりの姿勢を、世間から厳しく糾弾され、ついにNHKの紅白歌合戦も落選という結果になるのです。

暴力団と密接だったために、助けられたり、逆にピンチにさらされたり。しかし、ひばりの芸能人生においては、不可欠な存在であったことは否めません。



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